【紗香】「そしたら男の人が赤い洗面器の中に水をいっぱいにいれててね」
【紗香】「頭の上に乗せて一滴もこぼさないように歩いてるの」
【紗香】「でね、『なんでそんなことをしてるんですか?』って聞いたんだけどさ」
【紗香】「何て言ったと思う? 『それは君の』……」
放課後。さやねぇと一緒の帰り道。
昨日と同じように、いつもみたいに。
俺の腕に自分の腕をからませて話しかけてくる。
だけど俺の耳は綺麗に受け流していた。
というのも昨日見た夢と。
朝、さやねぇに言われて思い出した記憶と。
その後のことを考えていたから。
【まゆ】「わたし、あなたのともだちになってあげる」
当時、俺が小さかった時のころ。
さやねぇも言っていたようにその時の俺はまゆとばかり遊んでいた。
何故かと言えば、両親が構ってくれず、
かと言って女の子と遊べるかー、という感じでグレてて。
ガキだったなぁ、ホントに……。
まぁそれは置いといて。
そんなちょっとヒネくれてた俺は当然、ずっと一人で遊んでた。
その時も確か砂場で遊んでて、そしたら知らない女の子が話しかけてきて。
【まゆ】「きみ、いつもひとりであそんでるのね」
【まゆ】「もしかしてともだちいないの?」
【まゆ】「ならわたし、あなたのともだちになってあげる」
と言われたわけだ。
そして若き日の俺はというと。
【ゆう】「うんっ!」
元気いっぱいに言った。
そりゃもう嬉しそうな顔と声で。
よくよく考えたら『ともだちになってあげる』ってのは結構アレだよな……。
でもそんなことはどうでもよかった。
一緒に遊んでくれる友達が出来たから。
【まゆ】「ちがうって。すなのおしろのうえにびーだまをのせるの」
【まゆ】「おままごとごっこね。わたしおかあさんやるからゆうくんはおとうさん」
【まゆ】「いまよ、はちのすにいしをなげつけるぎゃあああぁあぁぁあぁぁぁぁぁっっっ!!」
……なんか今シャレにならないことがあった気がするけど。
でも友達がいなかった俺は本当に嬉しかった。
今でこそわかるけど、初めて対等の存在が出来たって思ったんだ。
それがきっかけでさやねぇや茜と遊ぶのも恥ずかしくなくなったし。
二人も呼んでみんなで一緒に遊んだりした。
【まゆ】「やった、やった。やっちゃったっ」
【まゆ】「ゆうくんとけっこんしきあげちゃったっ」
あぁそうだ。
嬉しそうに笑う彼女の顔を見ると。
俺もすごく嬉しくて。
【悠】「………………」
そうか。俺はまゆちゃんのことが好きだったんだ。
自分のことながら単純で。
だけどはっきりわかりやすい。
だからこそ、急な引っ越しで別れてしまって。
想いを告げることなく。
それをちゃんと実感することもなく。
失恋してしまったんだ。
そして……。
【紗香】「って言ってさ。ほんと笑っちゃったよわたしー」
寂しくて悲しくて。
泣いていた俺を慰めてくれたのがさやねぇで。
【ゆう】「まゆちゃんが……まゆちゃんがいなくなっちゃったよ……さやおねえちゃん……」
【さやか】「うんうん。さびしいよね」
【さやか】「ゆーちゃんはまーちゃんがすきだったもんね」
【ゆう】「ぅん……うん……ぼく、まゆちゃんのこと、すきだった……っ」
【さやか】「ならいっぱいないていいよ。あまえていいよ」
【さやか】「おねえちゃんがこうやってよしよししてあげるから」
【さやか】「おねえちゃんがこうやってだきしめててあげるから」
【さやか】「いっぱい、ないていいんだよ」
【ゆう】「ずび……ありがとぅ……さやおねえちゃん……」
【さやか】「くす。いいこいいこ」
【さやか】「ってちょ、ゆーちゃん……そ、そこ……ぉっぱい……さわっちゃ、ゃん……」
【ゆう】「えぐっ、ぐすっ……どうしたの……?さやおねえちゃん……?」
【さやか】「ぁ、ん……」
【さやか】「ん、んーん……なんでもないよ……」
【さやか】「だからゆーちゃんはこのまま……ね?」
【ゆう】「ありがとう……さやおねえちゃぁん……(すりすり)」
【さやか】「ゃ……んっ……は、ぁ……ぁ……」
【悠】「小さいころの俺ぶっ飛ばす!!」
【紗香】「きゃっ! どうしたのゆーちゃんいきなり」
【悠】「ごめんさやねぇ。ちょっと黒歴史を思い出しただけだから」
マジでなんだガキのころの俺。ほんとぶっ飛ばすぞ。
意味はわかってないとはいえ幼いさやねぇに手を出すなんて許せん!
……落ち着け俺、小さいころの俺をぶっ飛ばすのはタイムマシンが出来てからにするとして。
【紗香】「ゆーちゃんの黒歴史かー。いったい何のことだろ」
【紗香】「『嫌いじゃない』とか『かったるい』ってクールな感じで言ってたことかなー」
【紗香】「それともおっきくなったおちんちんを見せて『これってびょーきかな?』」
【紗香】「って大慌てで言ったこと?」
【悠】「ごめんなさいごめんなさい本気でごめんなさい」
むしろ謝るべきなのは小さいころの俺じゃなくて今の俺だな……。
……何度謝っても謝り足りないけど。
【悠】「……はぁ」
わかった、全部思い出した。
まゆちゃんが急にいなくなって泣いていた俺。
そんな俺をさやねぇは慰めてくれたんだ。
今の関係はその時から続いてたんだ。
今の関係はあれがきっかけだったんだ。
そんなことを思いながら、隣を歩く幼馴染の顔を見つめながら。
気づいたら公園の前。
俺にとって思い出深い。
まゆと出会って、さやねぇたちと遊んだ場所。
【悠】「ちょっと公園寄ってかない?」
【紗香】「いいねー」
【紗香】「あの名前がよくわからない動物のやつ乗っちゃう?」
【悠】「バネがついてるアレね。いいよ勝負しようか」
あれでいったいどう勝負するのかわからないけど。
俺たち二人公園へと入った。
【紗香】「いやー、久しぶりにいい汗かいたー」
【紗香】「やっぱり面白いねあれ、ばいんばいんって跳ねて」
【悠】「落ちそうで落ちないのがいいんだよな」
【悠】「だけど勝負は別! 今回は俺の勝ちってところ?」
【紗香】「仕方ないなー、今回はゆーちゃんに譲るよ」
【紗香】「わたしもスカートじゃなかったらもっとアグレッシブに攻めれたんだけどねー」
だからあれでどうやって勝負するのか、攻めるのか。
わからないけどテキトーにノリで話す。
【紗香】「でもなつかしいねー、この公園」
【紗香】「ゆーちゃんとあーちゃんと、まーちゃんとみんなでよく遊んだよね」
【悠】「……そうだな」
ここにはいろんな思い出があって。
ここでいろんなことを思い出して。
だからこそちょっとセンチメンタルな気分になったから。
【紗香】「ん? どうしたのゆーちゃん」
【紗香】「あ、その顔はお腹が減った顔だね」
【紗香】「しょうがないなぁ。それじゃあ友達からもらったアメちゃんをプレゼント」
全然違うんですけどお姉ちゃん。
にこにこと俺を包み込むような笑顔。
泣き止まない俺を抱きしめてくれた時と同じ。
【紗香】「ゆーちゃん?」
差し出された手からアメを受け取らない俺に。
目を丸くしながら不思議そうに聞いてくる。
その後ろをカップルが通って、中山と交わした会話を思い出す。
『俺たちみたいな関係は付き合わないといけないのか?』。
『全部が全部そうとはいわんが世間一般や漫画的に考えたら普通付き合ってるだろ』。
『俺たちの場合、ずっとこんな感じで過ごしてきたからなぁ』。
【紗香】「どうしたのゆーちゃん、お腹痛いの?」
心配したさやねぇが目の前に来る。
いつでも俺のことを考えてくれる年上の幼馴染。
こんな関係に。
なぁなぁの関係になった原因は俺だ。
俺がずっと泣いてたから。
弱かった俺をさやねぇが守ってくれたから。
それがきっかけで今の俺とさやねぇの距離になったんだ。
中途半端な距離になったのは俺のせいだ。
だとしたら、決めるのも俺なわけで。
【悠】「ありがとう、さやねぇ」
【悠】「小さいころ、ずっと泣いてた俺を慰めてくれて」
【紗香】「そんなの気にしなくていいの」
【紗香】「だってわたしはお姉ちゃんなんだから」
何でもなさげに答える。
それがさやねぇだから。
……だからこそ言わないといけない。
【悠】「なぁさやねぇ」
だけど……。
【悠】「俺たちってどうなのかな」
でもやっぱり。
自分の気持ちがわからなかった。
【悠】「朝起こしてもらったり、お弁当作ってもらったり」
【悠】「一緒に買い物したり、ご飯食べたり」
【悠】「こういう風に腕を組みながら歩くのって恋人って言われるんだろうけど」
【悠】「俺たちってちゃんと付き合わないといけないのかな?」
【悠】「俺たちは恋人になるのかな?」
【悠】「ならないといけないのかな?」
この言い方は卑怯かもしれない、というか卑怯だ。
さやねぇに答えを任せることになるんだから。
……でも本当に自分じゃわからなくて。
さやねぇの気持ちを聞きたかった。
【紗香】「うーん……うーーん……うーーーん……」
さやねぇは手を頬に当てながら。
【紗香】「よくわかんないや」
困ったような笑顔でそう言った。
【紗香】「どうなんだろうね。わたしもね、考えたことあったんだ」
【紗香】「もしゆーちゃんが彼氏だったらって。わたしの大事な人だったらって」
【紗香】「別に今は違うって意味じゃないよ?」
【紗香】「ゆーちゃんのこと好きだし、大事に想ってる」
【紗香】「だけど……」
目を伏せて。
また少し考えて。
【紗香】「好きだし大事だけど、やっぱりよくわかんないや」
その表情は、言葉は本当なんだろう。
ずっと一緒にいた俺にはわかる。
だからこっちも返す。
【悠】「俺もさやねぇのこと好きだし大事だよ」
【悠】「もちろん女の子として見てる」
【悠】「でもちょっと天然気味で可愛い姉だとも思ってるんだ」
これが俺の本当の気持ち。
女の子として可愛いと思う。興奮もする。
もっと先に進みたいとも思う。
でも姉としても見ていて。
【紗香】「わたしもそう。しっかり男の子だと思ってる」
【紗香】「だけどちょっといじわるな弟とも見てるんだ」
自分の気持ちを言い合ったけども。
結局、二人とも同意見で。
なんとなく笑いながら見つめ合う。
【紗香】「それにほら、ああいうことはしてないでしょ」
指をさしたその先。
さっき後ろを通ったと思っていたカップルがキスをしていた。
しかも思いっきりディープディープディープなやつ。
やだ、ハレンチ!
【紗香】「ね?」
【悠】「確かにしてない」
【悠】「…………」
【悠】「……いやしなかったっけ? 子どものころ」
【紗香】「してないよー。したとしてもほっぺたくらい」
【紗香】「女の子のファーストキスは簡単にはあげられないよ」
【紗香】「わたしがする方で、相手がゆーちゃんだったとしてもね」
ちょんと指で俺の唇に触れる。
少しいじわるそうな顔。
俺はいうと、自然とさやねぇの唇に目がいって。
妙に照れてしまって目をそらした。
【紗香】「それに第一さ、今さら付き合うってのもなんかヘンな感じじゃない?」
【悠】「それは俺も思った」
【悠】「『さやねぇ、俺の苗字をもらってくれ!』って言うのもなぁ」
【紗香】「それってプロボーズでしょ。それはそれとして嬉しいけど」
【紗香】「だからムリに付き合うとか付き合わないとか」
【紗香】「そんな話しなくてもいいんじゃない?わたしたちはわたしたちで」
真っ直ぐ見つめられながらそう言われる。
俺も同意見だった。
この距離感がいいと思うし、この関係性がいい。
【悠】「それじゃあまぁ、こんなオチですけどこれからもどうぞよろしく」
【紗香】「こちらこそどうぞよろしくお願いします。ぺこーり」
こんな感じで結局このまま現状維持という風に落ち着いた。
中山あたりに話したらダメだしのリテイクを食らいまくるかもしれない。
だけどそれがどうした。
俺がよくて、さやねぇもいいって言うんならそれでいい。
そして夕暮れの中。
二人、影を伸ばしながら家へと帰った。