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    【海岡】「どうぞ」

    【晴斗】「うん……」

    【恵海】「お帰りなさいませ、晴斗様。ずいぶん遅かったですね」

    【晴斗】「うん……」

    【恵海】「……?」

    【海岡】「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」

    【恵海】「あ、海岡さん。少々お待ちいただけますか?」

    【海岡】「ん、なんだい?」

    【恵海】(晴斗様の様子が、おかしいようなのですが……)

    【海岡】(ああ、お迎えに上がったときからあんな感じだよ。
学内のことだと思うから、むしろ恵海ちゃんの方が詳しいと思うが?)

    【恵海】(いえ、それが……)

    【海岡】(だったら、私じゃわからないなぁ)

    【恵海】「そうですか……ありがとうございます。すいません、お引き留めして」

    【海岡】「いやいや。それじゃ、お先に」

    【恵海】「はい、お疲れ様でした」

海岡さんと恵海が何かお話ししていたようだけど、
僕はそれを右から左に聞き流しつつ、ぼーっと瀬里沢さんのことを考えていた。

    【恵海】「晴斗様」

    【晴斗】「…………」

    【恵海】「……晴斗様っ」

    【晴斗】「わっ! ……え、なに?」

ふと気づくと、恵海に肩を掴まれて身体を揺すられていた。

    【恵海】「いつまで玄関にいらっしゃるおつもりですか?」

    【晴斗】「あ……あぁ、そうだね」

いつも通りカバンを預けて、部屋へと向かう。

    【晴斗】「ふぅ……」

ベッドに腰を掛けながらも、やっぱり頭に浮かぶのは夕方のこと。

あれから、もう1時間は経っているのに。どうしちゃったんだろう、僕?

    【晴斗】「……ねぇ、恵海」

カバンから教科書を取り出し、勉強の用意をする背中に声を掛けてみる。

    【恵海】「なんでしょう?」

    【晴斗】「お金なんていらない……って言う人、この世の中にいるのかな?」

    【恵海】「数は少ないですが、いると思いますよ。かく言う私もその1人ではありますし」

    【晴斗】「え、そうなの?」

    【恵海】「はい。当然、生きていくために必要なお金でしたら欲しいですが。
それ以上はあっても使い道がありません」

    【晴斗】「けどウチのお給料って、確か……」

    【恵海】「そうですね、不必要なほど高いです」

詳しい明細を見せてもらったことはないけど、
確か大企業の幹部社員程度の額は支払ってるって父さんに聞いたことがある。

治爺さんが存命だった頃は、ハウスメイドの仕事をしつつメイド長……
いわゆるハウスキーパーについての手ほどきを受けていた。

恵海が能力的に高いからと言うのもあったけど、
他のメイド長候補が辞退をしたから、お鉢が回ってきたのだ。

そして、治爺さんの亡くなる1年前にメイド長へ無事に就任。
亡くなる直前から、執事の仕事もある程度は任されている。

それに加えて、僕の面倒を見るって言う重たい業務も重なるわけだし、
高給なのも当然みたいだ。むしろもっとあげたいくらいだが、と父さんは言っていた。

僕の知る限りでも、
よその屋敷でこれほどの仕事を任されている人は、まず聞いたことが無い。

    【恵海】「もっと少なくても構わないのですが、
管理責任者である私の賃金が安くては他の方の給料を上げられないと言われてまして」

    【晴斗】「そうだったんだ」

それもあって『もっとあげたい』って言ってるのかな、父さんは。

僕のことを『金づる』とか言ってた割には本人にお金の執着が無いなんて、
天の邪鬼だなぁ恵海は。

    【恵海】「お陰で、貯蓄は貯まるばかりです。
もう10年ほど働いたら、何もしなくても一生暮らしていけるかもしれません」

    【晴斗】「え、辞めちゃうのっ!?」

    【恵海】「辞めませんよ。……少なくとも、晴斗様が立派な当主様として
天野家を率いるまでは、クビにならない限り辞められません」

    【晴斗】「そ、そっかぁ……」

そんな恵海の言葉に、少しほっとする。

    【恵海】「突然どうされたのですか? そのような質問をされるなんて」

    【晴斗】「あ……うん。恵海みたいにお金を必要としない人にとってはさ、
僕ってどう見えるのかなって考えてて」

    【恵海】「どう見えるか? そうですね……」

僕の質問に、少し考える素振りを見せる恵海。

    【恵海】「晴斗様に見えると思います」

けど、口にした答えは、言うまでも無いことだった。

    【晴斗】「そんなの当然でしょっ!」

    【恵海】「本当ですか? 本当に、当然のことだと思われますか?」

    【晴斗】「え? 違うの……?」

    【恵海】「貪欲にお金を求めている人間にとっては、晴斗様が札束に見えているかもしれません」

    【晴斗】「あ……」

    【恵海】「お金でなくても、威光を借りたい人間にとっては、
『天野家の人間』と言う括りでしか見られていないかもしれませんね」

    【晴斗】「…………」

そうだ。恵海の言う通りだ。

それが僕に擦り寄り、そして離れていったあの人達なんだと思う。

    【恵海】「ですから、『天野晴斗』を1人の男性として見ることは、
当然だとは思っておりません」

    【晴斗】「…………」

お金じゃない。『天野家』って言う名前でもない。

僕を“僕”として認識してくれたこと。
それが、感情を強く揺さぶっているのかもしれない。

学校で、親しく話してくれる人達。
あの中で、何人が“僕”のことを見てくれているのだろう?

    【晴斗】「恵海にとって、僕個人はどう見える?」

    【恵海】「それは、どう言った意味でしょうか?」

    【晴斗】「さっき言った、ただの『天野晴斗』だった場合の僕のことだよ。正直に答えてみて」

    【恵海】「そうですね……中途半端に勉強はできるけど、
基本的には世間知らずでお人好しのバカ、でしょうか」

    【晴斗】「ひ、ひどいっ!」

    【恵海】「正直に、と仰ったので」

    【晴斗】「うう、そうだけどさ……」

なんとなく予想はしていたけど、やっぱりろくでもない人間に見られているらしい。

    【恵海】「けれど、そこがとても愛おしい部分でもあると考えています。
一緒に育ってきた、私の欲目があるかもしれませんが」

余り感情を表に出さない恵海が、嬉しそうにそんなことを言う。

    【晴斗】「……それって、つまり良いの? ダメなの?」

    【恵海】「まだまだダメです。一般人でしたら、将来間違いなくネズミ講に引っかかります」

なんだか具体的な例を出されてしまった。

……けっきょく僕って、とってもダメなヤツかもしれない。

    【晴斗】「ううぅ……そんな僕を好きになってくれる女性なんて、この世にいるのかなぁ?」

    【恵海】「どうでしょうね。少なくとも、今まで晴斗様に近づいてきた方々は、
大なり小なり『天野家』を目当てにしておりましたが」

    【晴斗】「そうだよね……」

キョウ兄ちゃんはそんなことないって言ってくれてたけれど、
僕も恵海が正しいのだろうと思う。

    【恵海】「でも……もしも『天野晴斗』を好きになってくださる方がいらっしゃって、
そして晴斗様も相手に同じ気持ちを抱いているのであれば」

    【恵海】「その時は、私が精一杯応援いたします」

そんな言葉に、やっぱり恵海は使用人である前に、
一緒に育った僕のお姉ちゃんなんだな……と、思ってしまう。

    【晴斗】「ありがと、恵海」

そして同時に、夕方から続いていたこの気持ちにも、ひとつの答えが出かかっていた。

僕は多分、僕自身を見て欲しかったんだろう。

先祖の作り上げた威光が無ければ、世間知らずでお人好しでバカで、
その上ネズミ講にも引っかかりそうな男が僕だ。

けど彼女は、厳しい現実に1人で立ち向かい、その背中を誰にも預けない。

そんな、孤高で誇り高い彼女の目には、
僕はただの“天野晴斗”でしか見てもらえなくて。

……だからこそ、笑いかけてくれた彼女の笑顔は、
僕には輝いて見えていたんだと思う。

    【晴斗】「ねぇ、恵海」

    【恵海】「はい、なんでしょう?」

僕は、思う。

茜色の教室で感じた、胸を焦がすこの感情に名前を付けるのなら。

それは多分

    【晴斗】「僕、恋をしたみたい」

    【恵海】「…………は?」

    【恵海】「以上が、本日の出来事です」

晴斗様がお休みになられた後、
私はいつもの通り旦那様と奥様に口頭での報告を終わらせる。

    【修一】「ちょ、ちょっと待ってくれるか。晴斗が、その……なんだって?」

    【恵海】「恋をされました」

    【修一】「…………本当、なんだよな?」

    【恵海】「はい。晴斗様本人の口から仰ったことですので」

    【修一】「そ、そうか……」

    【恵海】「何か問題がございましたでしょうか?」

    【修一】「いや、そう言うわけじゃない。ないんだが……」

    【志乃】「ふふ、突然だったからビックリしちゃっただけよ。けど、晴斗くんが恋なんて……」

    【修一】「あぁ……しかも、同級生とはな」

    【志乃】「恵海ちゃんは、その子のこと知ってるのよね?」

    【恵海】「クラスメイトなので、顔と名前は存じております。
ですが、話したことはございません」

    【志乃】「そうよねぇ……恵海ちゃん、コミュ障だもの」

    【修一】「1度として、友達を連れてきたことがないしな」

    【恵海】「……申し訳ございません」

    【修一】「ま、仕事上はちゃんとコミュニケーションが取れているんだし、
責めるつもりはないぞ。むしろそれによって産まれるボクシングもあるしな」

    【志乃】「ワンツーからのダッキングねっ」

旦那様は、多分サムシングとでも言いたいのだろう。

    【修一】「しかし、今までのこともあるからな。
しっかり調査しておくに越したことはないんじゃないか?」

    【志乃】「そうねぇ……晴斗くんにたかってた人達は、
治さんや海岡さん達に実力行使して頂いていたけど」

    【修一】「あの爺さん、弁護士の資格も持ってたからやり口がエグかったもんなぁ」

これまで晴斗様に無心していた連中は、
全てご本人には内密にしつつ、お引き取り頂いていた。

今はまだ晴斗様に世の中の汚さを見せたくない。
大人になるまではそのままでいて欲しい……と、旦那様が考えられてのことだ。

それについて、私も奥様も、それに生前のお祖父さまも賛同している。

晴斗様のお話を聞く限り、瀬里沢さんはそう言った手合いとは違うように思えるが、
これまでの経験から用心するに越したことはないだろう。

    【恵海】「興信所の手配をいたしますか?」

    【修一】「う~ん……けど、そこまで大事にして良いものかどうか」

    【志乃】「昨夜、晴斗くんが選んだ相手であれば文句は言わないって仰ったばかりですものね?」

    【修一】「うっ……そ、そうなんだよな」

    【恵海】「でしたら、私が個人的に動いてもよろしいでしょうか?」

    【修一】「恵海が、だと?」

    【志乃】「あ、それ良いかもしれないわっ。いっそ、お友達になっちゃったらどう?」

    【恵海】「お友達……ですか?」

    【修一】「なるほど、それは面白いかもしれないな」

    【恵海】「あの、旦那様……?」

私の口を挟む間もなく、旦那様も奥様も『それは良い』と盛り上がっていく。

    【修一】「……よし、決めた。恵海に調査を依頼しよう!
もちろん、晴斗には悟られてはいけないぞ」

    【志乃】「チャンスがあったら、その子と仲良くなっちゃいましょう。ね?」

    【恵海】「……あの、調査については承りますが、
仲良くする理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

    【修一】「とうぜん理由はある。友達になれば、相手がどんな子かわかるだろう?」

    【志乃】「それに、もしもとんとん拍子に上手くいった場合、その子と恵海ちゃんは、
ずーっと一緒に過ごすことになるのよ?」

確かにその通りだ。

晴斗様の婚約者、さらに伴侶となられる方は、
つまり私にとってご主人様の奥様に当たる。

私がこの仕事を続ける限り、
下手したら正に死ぬまでのお付き合いとなる可能性もあるのだ。

……なら、私の出す答えはこれしかない。

    【恵海】「かしこまりました。私にお任せ下さい」

    【修一】「うんうん。その意気だぞ」

    【志乃】「がんばってね、恵海ちゃんっ」

    【恵海】「はい。では、本日はこれで失礼いたします」

報告と新たなる仕事を仰せつかった私は、部屋を出てから思案に耽る。

    【恵海】「……仲良く、ですか」

今まで与えられてきたミッションの中で、これが最も過酷なハードルになるだろう。

私は、その絶壁のような高さに、軽いめまいをしていた。

    【修一】「はぁ……しかし、晴斗が恋愛とはな」

    【志乃】「恵海ちゃんは気にしていないみたいだったけど、大丈夫かしらね?」

    【修一】「2人とも、アレだから仕方ないとは思うが……。
とにかく私たちは、今後の行く末を見守ってやるしかないだろう」

    【志乃】「そうねぇ……みんなが幸せになってくれると良いんだけど」

    【修一】「ああ……がんばれよ、晴斗。恵海」