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    【晴斗】「ふわぁ~~」

朝の登校中。車の中で盛大なあくびをしてしまう。

   【運転手】「寝不足でらっしゃいますか?」

    【晴斗】「んー、よく寝たはずなんだけどね。まだ眠いや」

   【運転手】「左様でございますか」

    【晴斗】「海岡さん、僕の代わりに登校する?」

    【海岡】「そうですね、女学生と戯れたいです」

    【晴斗】「いっぱいできるよー。ばんばんキメられるよー」

    【海岡】「左様でございますか。でしたら是非とも淫行をさせてくださいませ」

    【晴斗】「わぁい、やったぁー……って、ん?」

話がまとまりかけた所で、ポケットに入れた携帯が震える。

    【晴斗】「もしもし、恵海?」

    【恵海】「ちゃんと学校へ来るようにお願いいたします」

    【晴斗】「……なんでわかったの?」

    【恵海】「ビビビと来ました」

    【晴斗】「うわ、古っ」

それだけ伝えると、即座に電話を切る恵海。

……本当に、なんでわかったの? やっぱり盗聴器?

    【晴斗】「はぁ……」

海岡さん、恵海に怒られたからダメって言ったら、心から残念そうな顔をしてたな。

……って、それよりも恵海は、なんで僕の行動がわかるのだろう。

学校の人達に怪しまれないよう、
わざわざ登校も下校も時間をずらしているって言うのに。

    【晴斗】「……あれ?」

ふと前を見ると、見知った後ろ姿が映る。

瀬里沢さん、今日は登校してきたんだ?

    【晴斗】「おーい、瀬里沢さ」

    【仁川】「よー、天野」

    【晴斗】「誰が天野だって!?」

    【仁川】「お前だよお前! なんで怒ってんの!?」

    【晴斗】「なんとなく流れで」

    【仁川】「流れで怒んなよ! 高血圧かよ!」

    【晴斗】「むしろ低血糖だよ!」

    【仁川】「それ、ヤベェやつじゃねぇか!? 色々気をつけろよ!」

……って、あ。もう行っちゃった。

昨日、キョウ兄ちゃんが思わせぶりなことを言うから、
少し気になっていたんだけど……ま、いっか。どうせ教室で会えるし。

    【仁川】「ん~? なんだ、なに見てるんだよ?」

    【晴斗】「ううん、気にしないで。ちょっと行っちゃっただけだから」

    【仁川】「は? イッちゃった……?」

    【晴斗】「うん。行っちゃったよ。先に」

    【仁川】「さ、先に……!? い、いつだよ!?」

    【晴斗】「今だけど?」

    【仁川】「今っ!?」

仁川くんは、何をそんなに驚いているんだろう?

    【仁川】「い、いったい何を……ナニでだっ!?」

    【晴斗】「何、って言われても。仁川くんで?」

    【仁川】「なっ……う、うおおおぉぉぉっっっ!!? 勘弁してくれええぇぇっ!!」

    【晴斗】「あ……行っちゃった」

突然どうしたんだろ?

   【裾野辺】「おー、天野。ちっす」

    【晴斗】「はよー」

    【仁川】「ヒ、ヒイィッ!?」

   【裾野辺】「……アイツ、さっき教室へ駆け込んできてからずっとビクビクしてんだけど。
お前、何か知らね?」

    【晴斗】「さぁ?」

おつむがイッちゃったのかも?

    【晴斗】「……ん?」

    【恵海】「…………」

いつも通り、チラ、と僕の方を見てから読みかけの本へ視線を落とす。

そうだ、盗聴のイヤホンとか……は、してないみたい。

本当に、どうやって僕の行動を見破っているんだろう? 忍術?

    【晴斗】「本庄さんに瀬里沢さん、おはよ」

    【本庄】「あー、はるぴんだっ。どう、誘拐されたー?」

    【晴斗】「ううん、自分から登校したからされてないよ」

    【本庄】「そっかぁ。元気でなによりだねっ」

    【晴斗】「本庄さんは狂気だねっ」

    【本庄】「あはは、それほどでもないよぉー」

    【晴斗】「褒める要素を入れたつもりはないけど?」

相変わらず本庄さんと喋っていると、意識がおかしな方向へ揺れてくる。

    【晴斗】「って……瀬里沢さん?」

    【陽砂】「え……? あ、あぁ、ごめんね。おはよう、天野くんっ」

    【晴斗】「う、うん……?」

    【陽砂】「あはは……ちょっと、ボーッとしてて」

    【本庄】「えー? せりりんだいじょーぶ? 誘拐する?」

    【陽砂】「う、ううん。しなくて大丈夫だよ?」

なんだろう……やっぱり、少し様子が変だなぁ。ツッコミにも、いつものキレがない。

    【陽砂】「ふぅ……」

クラスメイトの、少し物憂げな様子に心配って気持ちと好奇心がくすぐられるけど。

……あまり立ち入ったことは聞くべきじゃないよね。

    【晴斗】「それじゃね」

    【本庄】「よいお年を~」

    【晴斗】「年末にはまだ早いんじゃないかな」

本庄さんの、ボケなのか本気なのかわかりづらいセリフに対応しつつ、席へと向かう。

その間も瀬里沢さんは、やはり憂鬱そうな表情を浮かべていた。

    【恭平】「はい、皆さん席に着いてください」

 【女子生徒A】「この書類にサインしてくれたら、何度でも席に着きます!」

 【女子生徒B】「あ、ちょっとなに婚姻届持ってきてんのよこのスベタ!」

    【恭平】「日直、お願いします」

    【日直】「んりぃーっ」

と言う訳で、今日も大盛り上がりのホームルームが朝から繰り広げられた。

    【恭平】「本日の連絡事項は以上となります。
それでは皆さん、今日も1日がんばってくださいね」

 【女子生徒C】「はぁ~い! アタイとの子作り二毛作、がんばろうねっ!」

 【男子生徒A】「ンだとコラァ! オレとの果樹園が、台風被害で大打撃だぞオラァ!」

 【男子生徒B】「お、俺のコーン畑だって、バイオ燃料にするほど大収穫なんだからな!」

本庄さんと言い、彼らと言い、うちのクラスって色々と不安になってくるなぁ。

    【恭平】「あぁ。それと、瀬里沢さん。この後、進路指導室まで来てもらえますか?
1時限目の先生には伝えてありますので」

    【陽砂】「あ……はい」

キョウ兄ちゃんの言葉を受けて、席を立つ瀬里沢さん。

    【晴斗】「うーん……」

やっぱり、何かあるんだろうなぁ。

    【晴斗】「……って、あれ?」

2人が廊下へと消えて行ったものの、クラスメイトは雑談に花を咲かせている。

昨日は僕とキョウ兄ちゃんであんなに騒いだのに……ドウイウコト?

    【晴斗】「ん、メール?」

見ると、恵海からだった。

『昨日、他の方の話を盗み聞いたところ、
相手が男性でなければ余り問題ではないらしいです』

……って、騒がない理由のこと?

    【晴斗】「なんで僕の考えたこと、わかったの……?」

やっぱり、恵海には謎が多すぎると思う。

1時限目の数学が無事終わり、2時限目の地理も終わった後の休み時間。

    【仁川】「このでっけぇ地図、ココで良いっすかー?」

    【恭平】「はい、お願いします」

    【晴斗】「じゃ、僕のも置いておきますね」

   【裾野辺】「センセ、この地球儀の中にエロ本とか入ってませんか?」

    【恭平】「入ってないですねぇ」

    【晴斗】「あはは、裾野辺くんは変なこと言うなぁ。
今の時代、エロDVDに決まってるでしょ?」

    【仁川】「それもちがくね!? つーか、なんで学校の地球儀に入れんだよ!?」

    【恭平】「そこには入っていないですし、DVDでもないですよ。
あちらのパソコンにデータで入っています」

    【仁川】「あるんだ!?」

    【恭平】「趣味を知られたくないので、見せませんよ?」

    【仁川】「見ないっすよ! つーか職場に持ち込んじゃダメだと思うんですけど!」

   【裾野辺】「正論だなぁ」

    【晴斗】「正論だねぇ」

    【仁川】「え……? ちょ、おい。なんで俺がおかしい感じになってんの……?」

ま、そもそもPCに入ってるのは雫ちゃんのスナップ写真ばっかりだろうけど。

あ、でももしかしたらハメ撮りとかもあるのかな?

    【晴斗】「ハメ撮りですか?」

    【恭平】「そう言うのもありますねぇ」

    【仁川】「あんの!?」

うっかり聞いちゃったけど。さすがに従姉妹のって考えると、ちょっと引くなぁ。

    【恭平】「……なんて、ちょっとしたジョークです。
さ、教材を置いたら戻って頂いて構いませんよ」

    【仁川】「な、なんだ、ジョークか……。そうですよねー」

   【裾野辺】「当たり前だろ? 先生は、男子にしか興味ねぇんだから」

    【仁川】「え、あの噂マジなのかっ!? じゃ、じゃあ、やっぱり今朝のも……」

僕の方をチラチラと見てくる仁川くん。

なんだろう、凄くアレな目で見られている気がする。

   【裾野辺】「じゃ、そろそろ戻ろうぜ」

    【仁川】「あ、あぁ……って、どうしたんだ天野? 行かないのか?」

    【晴斗】「うん。僕はちょっと先生に用事があるから、残るよ」

    【仁川】「よ、用事だと!?」

   【裾野辺】「お邪魔しちゃ悪いな……ほら、戻ろうぜ」

    【仁川】「ま、マジかよ……元々遠い身分の男ではあったが、
ますます遠い存在になっちまった……!」

   【裾野辺】「失礼しましたー」

    【仁川】「ローションは使えよ、天野……」

    【晴斗】「うん? ローション?」

何のことだろう、と思っている内に、2人は準備室を出て行ってしまう。

    【晴斗】「どこから来たんだろうね、ローション」

    【恭平】「どうせアレだろ。俺と晴斗が肉体的にデキているって噂のことじゃないか?」

部屋の中で僕と2人きりになった途端、表情と口調を崩しながら答える。

    【晴斗】「あー、なるほど。大迷惑だね」

    【恭平】「俺は構わんぞ。どうせ雫さんがいるし、
噂が広まれば、女子生徒にも騒がれなくなるしな」

    【晴斗】「異性が好きで、恋人もいない童貞である僕にとっては、
はた迷惑以外の何物でもないんだけど」

突出して目立つわけじゃないけれど、
昨日の呼び出しのように僕はキョウ兄ちゃんからそれなりの特別扱いをされている。

そもそも僕の面倒を見るために先生をやっているんだから、
仕方ないことだったりする。
とは言え、他の生徒から見たら何かあると思われても文句は言えないのかもしれない。

……だからって、まさか同性愛疑惑に発展するとは思わなかったけども。

    【晴斗】「同性愛だけに。ハッテンってね」

    【恭平】「あん? なんだって?」

    【晴斗】「ごめん、僕がどうかしてた」

ここは素直に謝っておこう。
キョウ兄ちゃんは、なんのことかわかってないみたいだけど。

    【恭平】「そんなどうでも良いことは置いておくとして……。用事ってなんだよ?」

    【晴斗】「あ、うん。えっと……瀬里沢さんのことなんだけど」

    【恭平】「へぇ……? なんだ、気になるのか?」

    【晴斗】「気になるって言うか。今朝からずっと元気ないみたいだし、挨拶しても上の空だし」

    【晴斗】「しかも昨日、何かを知っているみたいだったじゃない?」

    【恭平】「ま、そりゃ担任だしな。色々知ってはいるさ」

    【晴斗】「僕、そのことが気になっちゃって……
良かったら、何があったのか教えて欲しいんだけど」

    【恭平】「うーん……そうか、知りたいか……」

    【晴斗】「言いづらい内容?」

    【恭平】「さぁな。それは俺じゃなくて、瀬里沢が決めることだろ。
だからまずは、本人にちゃんと聞いてみたらどうだ?」

    【晴斗】「…………」

しごく当たり前の、そんな正論を言われてしまう。

    【晴斗】「そうだよね……ごめん、変なこと聞いて」

    【恭平】「それは構わないが……なぁ、晴斗。お前、なんで瀬里沢のことを知りたいんだ?」

    【晴斗】「それは、その……」

    【恭平】「純粋な好奇心か? それならそれで、別に構わないが」

    【晴斗】「うっ」

図星を突かれて、少しドキッとしてしまう。

やっぱりキョウ兄ちゃんに嘘はつけないな……。

    【晴斗】「うん、確かにそれもあるよ……けど、クラスメイトが困ってるなら、
理由を聞いて助けてあげたい。そう思ったんだ」

    【恭平】「へぇ……助けてやりたい、か」

僕の答えを聞いて、少し考え込む様子を見せるキョウ兄ちゃん。

    【恭平】「なぁ晴斗。お前は、困っている人がいれば、全員を助けて回りたいのか?
そんなこと、できやしないだろう?」

    【晴斗】「それは……うん、その通りだけど」

    【恭平】「確かにお前は、一般人から見れば“金”と言う絶大な権力を持っている。
しかし、なんでも思い通りに行くと思ったら大間違いだ」

    【恭平】「お前はまず、できないことを知らないといけない。
それを俺は、言葉じゃなくて、ちゃんと経験として教えてやりたいと思っている」

    【晴斗】「…………」

『実経験は、成長する一番の近道になる』

それは、キョウ兄ちゃんが僕の家庭教師をしている頃、よく口にしていた言葉だ。

言葉だけでわかったつもりになっても、実際にそれが身についたかというと、
決してそんなことは無い。

例えば僕は、この前初めてコンビニでのお買い物というのを経験した。
事前に知ってはいたけど、やっぱり実際に経験すると、気づかなかった発見がある。

小さい額で1万円札を出すとお店側が大変、とか。
ゆっくり注文すると、並んでいる人達に迷惑がかかる、とか。

それはつまり、経験をするからこそ、その事柄をより深く理解できた結果で、
キョウ兄ちゃんの教えの根幹でもある。

    【晴斗】「つまり僕じゃ、瀬里沢さんを助けられないってこと?」

    【恭平】「いや、違う。簡単に救えるだろうな、お前なら」

    【晴斗】「なら」

    【恭平】「けど、本当の意味で救うことはムリだ」

    【晴斗】「……本当の意味で?」

キョウ兄ちゃんが何を言いたいのか、僕にはよくわからない。

でも

    【晴斗】「自分にできる事があるのなら、僕の手が届く範囲でなんとかしたい。
そんな考えはダメなの?」

    【恭平】「晴斗……そうだな、悪い。少し意地悪な聞き方だった」

ひと呼吸置いた後、キョウ兄ちゃんは。

    【恭平】「家庭のことで悩みがあってな。俺はただ、それの相談を受けているだけだ」

それだけを答えてくれた。

    【晴斗】「なら、やっぱり僕は力になってあげたいよ。大事なクラスメイトだもん」

    【恭平】「そうか……ま、なんにしろ、お前が満足するように動けばいい。
俺は止めたりしねぇさ」

    【晴斗】「うん。ありがと、キョウ兄ちゃん」

とは言え、まだ悩んでいる内容さえ知らない僕に、なにができるのかもわからない。

    【恭平】「けど晴斗。お前、そんなに瀬里沢と仲が良かったのか?
挨拶をする程度って言ってたろう?」

    【晴斗】「うん、そうだよ? 何か変?」

    【恭平】「ん~……いや、別に。もしかしたら、面白いことになるかもな、って思っただけだ」

    【晴斗】「面白いこと?」

    【恭平】「……ほら、もう教室に戻りましょう? 次の授業が始まってしまいますよ」

続きを聞こうと思ったところで、途端に先生モードへと戻ってしまう。

    【晴斗】「ちょ、ちょっと、キョウ兄ちゃんっ……」

    【恭平】「“藤崎先生”ですよ、天野くん?」

それ以上の会話を続けることなく、僕は社会科準備室から放り出されてしまった。